新十津川町図書館
JR札沼線の終点駅ですが本来は石狩沼田駅まで通じていたもの。戦中はレールを他で転用する為に休止路線とされ、戦後は再開通させたものの結局1972年に新十津川〜石狩沼田区間は廃止になったという経緯をたどった路線です。
廃止された区間を探して新十津川町を歩くと町中は既に住宅地になっていて何も残っていないのですが、徳富川に掛かる水道橋の橋脚に「日本国有鉄道 昭和28年」と読み取れるプレートが残されているのが確認出来ました。この川、幅が広くまた河川敷にも木々が勢いよく育っていて川中央の橋脚の状況が確認出来ません。よく見ると川中央よりの橋桁・に「1981年10月新竜水道企業団」(現在の名称は西空知広域水道企業団)とのプレートが見えており、手前側の橋桁・橋脚と何故年代が異なるのか謎に行き当たりました。
北海道鉄道廃線区間についてまとめられた本を見ても現在水道用に転用されているとの記述しかなく、何故1981年竣工の橋桁があるのか理由が分からない。
徳冨川水道橋(旧国鉄札沼線橋梁)
水道橋南側。この部分の橋桁は国鉄時代のものがそのまま流用されている。
水道管が新しいのは
鉄道橋桁である事を示すプレート
日本国有鉄道 昭和28年という文字が読み取れる。
鉄道橋桁部分
橋脚
その先を継いでいる橋桁
1981年10月新竜木水道企業団という文字が読める。
国道275号線の橋梁から見た水道橋中央部(左側が南岸にあたる)
先ほどの鉄道橋桁・橋脚より建造時期が新しいものに見える。
では、地元の図書館で調べてみようと新十津川町図書館へ。どうやら1981年(昭和56年)に台風12号による全町規模の水害があった事まではインターネットで検索出来たのでこの具体的被災状況の資料を探すべく郷土史関係の棚へ。
新十津川町の水害史の本があったので見てみると鍵になりそうな1981年より数年前に書かれたものでらしき記載なし。
新十津川町史の資料が郷土史棚に見当たらなかったので図書館カウンターで昭和56年の水害について載っている資料を探していると申し出た所、館員の方が郷土史の棚を見に行かれて戻って来られてくると別の館員の方に相談されてちょっとした騒動に。町役場に行った方がいいかもとも言われたのですが、閉架書庫に保管されていた新十津川町史の本に昭和56年8月台風12号水害で徳富川水道橋の中央部橋脚が流出してなくなっている写真が出ていて、この時に新しい橋桁が掛けられた事が確認出来ました。橋桁のプレートから見ると被災2ヶ月で架けられた事が分かりますが、これは水道用の橋の為に早かったのであろうと推測してます。
なお川の中央にある橋脚もおそらくこのタイミングで作り替えられたように思われるのですが、この点は確認出来ていません。この点は西空知広域水道企業団に問い合わせるしかなさそうです。
新十津川町図書館
公共図書館は通常地元の郷土史資料を収集して保管しています。本としてまとめられていれば、図書館にある可能性は高いので後は探すかリファレンスサービスで該当図書を紹介いただく事でアクセス出来ます。調べている事象を管轄する組織に問い合わせる手もありますが30年以上前の話だと関係者も既に退職されている可能性が高いので、まずは図書館というのがいい方法だとは思います。