2015年10月19日月曜日

図書館の複本について

図書館の複本問題は出版社、著者を中心として公立図書館=無償の貸本屋として批判を行っていますが、具体的な影響について論証された例はあまり見た事がありません。
仮説と検証、そして数字を踏まえた論証を行わない限り、曖昧な感情論、自己都合に基づいた対立のループにしかなり得ません。この点について複本がどの程度購入されているのか、またそれに対してどの程度売れているのか、先行の調査例を参考に検討を行ってみました。

改版履歴:
1.8版(2015/10/19):追記4「火花」複本冊数表に「村上海賊の娘(上)」を追加。
1.7版(2015/10/19):追記4「火花」について全国図書館複本冊数の推計について記事を掲載。
1.6版(2015/3/12):
 「公立図書館の複本冊数サンプリング表Ver.1.6」を掲載。
 「公立図書館の複本冊数サンプリング表(文庫)」更新版を掲載。
1.5版(2015/2/17):末尾に関連リンク集を追加。
1.4版(2015/2/14):文庫の複本冊数サンプリング表を掲載。
1.3版(2015/2/12):「公立図書館の複本冊数サンプリング表Ver.1.5」を掲載。
1.2版(2015/1/27):「無償貸本屋批判について」を追記2として追加。


公立図書館の複本冊数サンプリング表Ver.1.6


公立図書館の複本冊数サンプリング表(文庫)
(解説は追記3に記載)

本論
「公立図書館における予約数と複本数の推移:予約上位本の定点調査」安形輝(亜細亜大学)という論文を元に検討しています。こちらは公立図書館60館において複本の状況を数字で可視化されていて大変参考になります。

この論文で調査されている「村上海賊の娘」の場合、貸出依頼数約25万件で1館あたり4000件超。複本で一番多いのが世田谷区立図書館の79冊となっています。
「村上水軍の娘」に当てはめると1冊あたり50人の予約が入っている勘定で、貸出期間平均1週間としても1年掛かります。

この論文では図書館のサービス人口と複本冊数の相関についても調べられていますが、概ね人口9,000人あたり1冊程度となっています。
「村上水軍の娘」は上・下巻で100万部超となっており、仮に上巻50万部とした場合、240人に一人が購入している計算となります。(100万部なら120人に一人が購入)

複本1冊あたり9,000人、半年で回るのはおそらく26人前後(貸出期間1週間として)となります。対する販売部数は50万部の場合9,000人あたり37冊程度の計算になります。
図書館がこういったベストセラー本を貸し出さない場合、更に26人程度がやはり購入するのではないかという計算は出来ますが、1ヶ月以上待って読むという人がいたとして、借りられないなら購入するのかという問題に行き当たります。またこのうち借りて読んでから買うという人がどの程度含まれるのかという視点の検討も必要でしょう。
現実には数名は購入してでも買う、そうでない人は読書習慣が失われる可能性もあると思います。本を読む習慣を育て維持する環境がない場合、出版業界が生き残れるでしょうか。

雑誌・コミックス販売で経営を支える図式が崩れ、経営者の高齢化が進み中小書店の急激な減少が起きています。書籍販売に注力して延ばしたナショナルチェーンの書店ですら、収益性が低下しており、予算は減っているものの館数は増えている図書館は本を読むというインフラを維持する為の最後の防衛線になる可能性すらあります。
電子書籍に生き残る道を見いだしている出版社も多いのですが、多種少量という特性がある書籍において、現在の書店が行っているような陳列、提案力がつくのかどうか個人的には懐疑的です。(ネット書店もこの点では無力です)
そして新刊書店ゼロ317自治体17%(2012年東京新聞)という状況が起きていて新刊を手に取ってみる環境がない地域も出て来ています。
図書館の場合、市区での設置は812自治体のうち802自治体に及んでおりほぼ100%近い整備率ですが、町村だと930自治体のうち504自治体しか設置出来ていません。(設置率54.2%。図書館法に基づく図書館が未設置でも公民館図書室といったものがある場合はありますが調査統計がないのでここでは割愛します)
少なからず本にアクセスが出来ない地域が出来ている訳ですが、そのような地域で何が起きているか、またどのようにすればそのような状況を解消出来るかは重要な課題ではないでしょうか。

追記1:「公立図書館貸出実態調査 2003 報告書」が日本図書館協会、日本書籍出版協会から出されてます。内容見たのですが、発行から1年間のベストセラー書に絞り込まれておらず、複本が少ない人文系出版賞の書籍も含まれています。この件の検証をしようと思ったら、上記条件に絞った上で発行部数、図書館購入冊数、貸出冊数、貸出平均期間と図書館の奉仕人口を出して1万人あたりで何冊が読者が購入したのか、また何冊が図書館で貸し出されて何人がどの程度の期間で借りて読んだのか検証しないと使える資料にはならないように思います。

追記2:無償貸本屋批判について
本稿は図書館の複本を置かれる事で、出版界に影響はない事を論証しています。
図書館はベストセラー本の複本は持たずに利用者増、貸出増を図るべきとの方針で図書館運営に当たられている所があるのは教えて頂きましたし、その事は否定するものではありませんが、どの程度置く事を求められるかは図書館と利用者との間での話し合いの結果によって決まるものだろうと思いますので、複本を一定の条件の範囲で置いて貸出待ち期間の短縮を図るという事もあるだろうと思います。
この観点で図書館関係者の中での「無料貸本屋」論争もあるようですが、1年以上の待ち時間が生じるような状況で待って読んでもいいという読者層は借りたい本がなければ読書週間から単に離れてしまう可能性はあります。「借りられないなら買うだろう」という主張は複本批判論者から良く出ていますが、1年以上待っていてかまわない人がそんな行動に出るはずがないと思うのですが。こう考えると図書館の複本抑制はむしろ売上減少になる可能性があります。
図書館関係者側の議論としての無償貸本屋論争はベストセラーの複本がどの程度資料費を占めているかなど検証が必要でしょう。個人的にはこの方向の議論はあまり意味を見いだせない(本稿は複本批判の無根拠性の指摘が目的です)ので自分で調べるかは未定です。

追記3:文庫の複本について
 文庫が図書館に置かれているのは問題との発言を見かけましたので、どの程度収蔵されているか、サンプル調査対象について調べてみました。

 「海賊とよばれた男(上)」単行本から文庫落ちしたものです。文庫版は購入しない選択をした自治体が多く見られます。浦安市と世田谷区、文京区は概ね1冊/館置いていますが、これはTRCの新刊急行ベルで文庫新刊を自動納品受けたか、図書館側で新刊文庫を各館1冊所蔵するという方針で購入した可能性が高い。

 「マスカレード・イブ」は東野圭吾氏の小説。人気作家の文庫書き下ろし作品の為、サンプリング先の各自治体いずれも収蔵されていますが、1館あたりの冊数を見ると0.6冊〜3.1冊/館と単行本に比べてあまり多くありません。
 なおこのうち文京区と浦安市は1冊あたり人口が1万人/冊を切っています。これは図書館数が多く1館あたり奉仕人口が小さい事が影響しています。
 川崎市が3.1冊/館と多く見えますが、人口146万人で13館(112,455人/館)と図書館数が少ない事が大きく、1冊あたり人口も最大の36,548人/冊となっています。また2015年2月13日深夜に予約数を見たら800近くなっていましたので1冊あたり20人が待っている状態でした。予算上の都合もあっての事だろうと思いますが、複本購入は抑止的な傾向が現れています。

 「その女アレックス」は2014年の翻訳小説では各種ランキングでも姿を見せるヒット作品となっていますが、翻訳小説のためか「マスカレード・イブ」に比べると冊数は少なくなっているようです。

(再掲)公立図書館の複本冊数サンプリング表

追記4:「火花」複本冊数の推計
 週刊ダイヤモンドで都道府県・市(中核市以上)・区に対して「火花」を何冊保有しているか調査して上位15自治体を掲載しています。こちらは残念ながら人口、館数が記載されていませんでしたので、こちらで調べて表にまとめてみました。
(複本冊数、予約数は2015年10月10日にWeb OPACで調べている)
※冊数は週刊ダイヤモンドのアンケート回答後に変動があったようで一致しません。

15自治体結果を合計してみると1館あたり3冊、1冊あたり人口28,274人となります。
小規模自治体の場合、1館で複本1〜2冊程度(人口4万人以下想定)なので、市・特別区は人口3万人あたり1冊、町村は1館あたり2冊とすると、
 116,229千人/30,000(人/冊)+601館*2冊/館=5,095冊
発行部数230万冊だとすると図書館購入冊数は0.21%となります。
貸出期間2週間=年間26回貸出できるので、5,000冊だと貸出13万回となります。
これが機会損失なのか、借りられないなら読まない層なのかで議論は分かれる所です。

「村上海賊の娘(上)」(50万部超)の冊数を追加してみましたが1館あたり人口はあまり変わりない結果になっています。

週刊ダイヤモンド「火花」「村上海賊の娘(上)」複本冊数


参考リンク: