2015年2月26日木曜日

妹尾河童「本を訪ねて北の果て」1985年当時の稚内書店事情と今

妹尾河童「河童の手のうち幕の内」(1992年新潮社単行本、1995年12月新潮文庫、2006年2月講談社文庫)所収のエッセイに「本を訪ねて北の果て」があります。これは週刊文春1986年1月16日号に掲載されていたもので、かれこれ30年近く前のもの。
こちらに掲載された書店事情から現在の稚内の書店事情を重ねて見る事でこの30年の変遷を追ってみました。



このエッセイ、東京都北区浮間の運送会社ターミナルを出発した書籍・雑誌が如何にして日本最北の地である稚内の書店に並ぶか追ってみたというもの。掲載時期から見て1985年12月前後に取材されたものだと思われます。(雪の描写もあるので11月後半の可能性も)

冒頭、出版関係者から置いても売れない本は配本しないから雑誌やコミックスしかないだろうと言われた話が出てくる。まだ出版市場が伸びていた頃にしてこのような話が出てくるとは思わなかった。「書籍の落ち込みが激しいから、特に」と書いていますがその人、今の出版業界の状況どう語るのか聞いてみたい気がする。

妹尾河童氏が追った稚内行き書籍・雑誌の流れ

  • 1日目(金):神田運送(現カンダホールディングス)浮間ターミナルでトレイラーに積込み。トレイラーは東京港へ向い、日本沿海フェリー(現商船三井フェリー)とまこまい丸にトレイラーのみ積載。(トラックは積載後トレイラーを切り離して下船)
  • 3日目(日):朝に苫小牧港へ入港。昼頃旭川のターミナル到着。稚内向けトラックに積替。4日目未明に出発。
  • 4日目(月):早朝稚内着。運送会社支店で配送車に積替。9時30分前後に書店着。
日本沿海フェリーが運航していた東京〜苫小牧航路は高速道路整備が進み房総半島の迂回で要する7時間のロスを避けるため大洗港発着に集約されている。

なお雑誌はより高速な輸送が可能なJR貨物で青函トンネル経由で全て運ばれるようになっている。(日経新聞2015/10/20記事


妹尾河童氏が取材した稚内市書店の現在(2015年2月)
1985年には9店舗あった新刊書店で2015年2月に営業が確認出来ている所、もしくは営業していると思われる所は2店舗だけでした。稚内市の人口はエッセイでは5万2千人、2007年末4万人、2015年1月末で3万7千人。エッセイ記載人口より3割近く減少していますが、書店の方はそんな率では済まない大幅減少になっています。店舗面積比が出せたらいいのですが、調べる術がなくちょっと無理か。
あとコンビニエンスストアとしてはセイコーマートが市街地国道沿いに出店されていて雑誌関係は影響を受けている可能性はあります。

妹尾河童氏が後を追って稚内に来られた30年前との違いは、人口とコンビニエンスストアの台頭じゃないでしょうか。中小書店にとって雑誌は利益確保上重要だったはずで、ここでコンビニとの競争にさらされると厳しかったのではないかとは想像出来ます。